境内案内西林院の境内・見所
のご案内

寺標

寺標

山門

山門

看龍観音堂

看龍観音堂

唐伝来の看瀧観音像が奉られているお堂です。

本堂

本堂

本尊 阿弥陀如来像

本尊 阿弥陀如来像

納骨堂

納骨堂

納骨堂内

納骨堂内

墓地

墓地

百観世音

「百観音」とは、近畿地方の西国三十三観音と、関東地方の坂東三十三観音、それに秩父の三十四観音の札所を総称したものです。その百観音巡礼が盛んになったのは500年ほど前からで、大勢の人々が、何ヶ月もの旅をしながら寺々を参拝して歩きました。この観音巡礼の由来をたどると8世紀まで遡ります。

徳道上人というお坊さんが生死のさかいをさまよわれたときに、閻魔大王が夢の中に現れて、「衆生を救うために三十三ヶ所の札所を開き、参拝した人には信心の証として朱印を授けるように」と告げて、三十三個の印を与えたといいます。このようにして西国三十三ヶ所巡礼が始まり、坂東霊場と秩父霊場が順次成立しました。

百観世音

西林院の入り口の塀に沿って整然と立ち並ぶ観音石像は、その百ヶ寺におまつりしてあるそれぞれの観音様のお姿をいただいて石に刻んだものであります。ここに祀られる観音様方を拝むと、百観音札所すべてをお参りするに等しいご利益を授かるといわれます。なお春のお彼岸には供養会が厳修されています。

百観世音

一石六角六地蔵

境内入口に祀られる一石六角六地蔵塔の塔高は1m10cmの塔身からなり、この種の型としては、彫りといい重量感といい県下に類を見ない貴重な六角塔で、江戸中期の造立といわれています。

十王経によると、人は死後の冥府で生前の罪状の軽量を10人の半官によって裁判されるといいます。その行程は、死後初七日に秦広王、二七日に初江王、三七日に宋帝王、四七日に五官王、五七日に閻魔王、六七日に変成王、七七日に泰山王、百ヶ日に平等王、一周忌に都市王、三回忌に五道転輪王によって裁かれるということです。そして、人は罪状により地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のいずれかの世界に生まれると説かれます。

一石六角六地蔵

この六道の道に慈悲の手をさしのべるのが六地蔵で、地獄道に黒衣地蔵・餓鬼道に枳里地蔵・畜生道に天月地蔵・修羅道に人福地蔵・人間道に書衣地蔵・天上道に天華地蔵が配されるといいます。

一石六角六地蔵塔は、この六道に落ちた衆生を救う地蔵尊を各一面ごとに陽刻し、地蔵尊の頭上には、各々地蔵道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の梵字が彫られています。

一石六角六地蔵